鞍取(くらとり)峠の道


私たち6年生は、鞍取峠を実際に歩いてみたりして鞍取峠の道を調べました。

鞍取峠の登り時間は、約16分で歩数は1074歩、カーブ数14個でした。下りの時間は約18分で歩数1434歩 、カーブ数9個でした。頂上まで1.75qで標高594mです。鞍取峠は伊勢本街道の中で3番目に高い峠だそうです。歩く途中にお墓もありました。井戸のワクやたむけ地蔵もありました。たむけ地蔵は昔からあるようでこけが生えていました。鞍取峠には、石や岩がたくさんありました。所々に木が倒れていました。坂やカーブが多くてしんどかったです。

  


頂上には看板が6〜7個くらいありました。伊勢本街道の看板や終点の看板や来た人が立てた看板がありました。鞍取峠の空気は綺麗でした。

 



鞍取峠の道に山水がありました。飲んでみると私の家の水道水よりおいしかったです。やっぱり水道水と山水は、ちがいました。そして昔の旅人もこの山水を、飲んでのどをうるおしたんだなぁと思いました。

  



昔、鞍取峠の頂上には茶店があったそうです茶店は鞍取峠を歩いて行く人たちが休んでお茶を飲んだりする場所です。茶店がたっていた場所は今、少
木が生えていたけれどちゃんと平らになっていました。昔の茶店のお茶を1度飲んでみたいと思いました。

  


鞍取峠へ行く道で咲いていた花は、ホトトギスやアケボノ草でした。他にもいろんな花が咲いていました。
私は鞍取峠の頂上に、昔、頂上に茶店があったなんて知りませんでした。伊勢本街道全体で茶店は何ヶ所あったのかなぁと思いました。鞍取峠には石や岩がこんなにあるとは思いませんでした。昔の人は山道を何qも歩いて、足がじょうぶだと思いました。



旅の道具のいろいろ

矢立は、ふでづつと呼ばれる筆入れと、すみつぼと呼ばれる墨入れが、混ざった棒の形の工芸品です。こんな便利なものが江戸時代にあったなんて一度使ってみたいです。

道中差しは江戸時代、町人などが旅に出る時、持っていった刀の事です通常の刀より少し短いです。こしにつけたそうです。


早道は、昔の財布ですこの中に銭が入っていました。

わらじは、昔のはき物です。
僕もこの間、わらぞうりをはいて鞍取峠を歩きました。ぞうりの中に石が入ってきてとても痛かったです。昔の人はこれでずっと歩いたんだからだいぶ痛かったんだなあと思います。


旅のガイドブック

江戸時代の伊勢参りがさかんなころ、今の旅行ガイドブックのようなものがありました。1800年頃に出版された「旅行用心集」と言う本には旅行中に気をつけることが次のように書かれています。

  1. 空腹だといって食べ過ぎない事。また、急いで食べない事。空腹状態で食 べ過ぎると、たちまち気をふさぎ病気にかかる。
  2. 空腹で酒を飲まない事。食後に飲め。
  3. 夏の道中はのどが乾くものだが必ず清水を飲む事。古い池や山水でも流れ のないところでは、むやみに飲まない事。
  4. 夏の旅は疲れやすく道路や草むらに寝る人があるが、野原の毒虫は危険 だからぜったいしない。

などです。今でも役に立つことが江戸時代に本として売られていたことは驚きです。


「鞍取」の名の由来

「お伊勢まいりしてこわいとこどこか、かい坂・ひっ坂・鞍取坂・つるの渡しか宮川か」と伊勢音頭に歌われたお伊勢まいりの難所の一つの鞍取坂は、桃俣から山粕へこすけわしい峠であった。

大昔、垂仁天皇のむすめであった倭姫命が、伊勢の皇太神宮の御神体「やたの鏡」を持って、大和から伊勢へわたったことがあった。そのとき、この坂をのぼりはじめると、馬の鞍が飛んでしまったので、姫はここで休んだという。
それ以来、この坂を「鞍飛坂」とも「鞍取坂」とも呼ぶようになった。

伊勢音頭に鞍取坂が出てくると言うことは、鞍取坂がそれだけけわしかったと言うことがよくわかりました。鞍取峠の名前の由来はもうひとつあります。
 それは、旅人が頂上で馬の鞍を取って休んだと言うので鞍取峠になったのだそうです。

この峠には二つの名の由来があってそこから鞍取峠と言う名前が生まれたことに深く興味を持つことができました。どっちの由来にしても峠が険しかったことが分かります。

この鞍取峠の上り口から少し登ったところに、正面に「南無阿弥陀仏」、左側に「いせみちみぎゑ」と刻んだ地蔵さんがあって、道しるべにもなっていた。
峠の頂上には、伊勢本街道の立派な札が立っていて、「左いせ・右はせ」と書かれていた。


これが案内板です。ここにも倭姫命の話が書かれています。倭姫も、ここでしばらく休息をしたということです。

このとうげを登ってみて曽爾からの登りは坂がきつかったです。昔の人が大阪や奈良から歩いてきてこの峠にさしかかるとすごく険しいと感じた理由が分かったように思います。