伊勢街道のルート


伊勢街道には、

名張を通る伊勢北街道

高見峠を通る伊勢南街道

曽爾村山粕を通る伊勢本街道

があります。

伊勢本街道のルート奈良から三輪を通り、曽爾村の山粕御杖村の桃俣を通り多気(たげ)に行って、山田を通ってやっと伊勢神宮につきます。

(感想)
私は、鞍取り峠と言う所を歩いたけどすごくしんどかったから、歩いて伊勢神宮へ行くのは、無理だと思いました。
昔の人はしんどかっただろうなと思いました。でも一度伊勢神宮に、昔のひとが参ったようにお参りに行きたいと思いました。


 

お伊勢参り

お伊勢参りは、江戸時代に流行した。

お伊勢参りをするために米を少しずつ出し合い積み立てて何人かの代表をクジでひき、神宮に送った。社会が安定してくると旅行ブームが始まり、「おかげ参り」や「ぬけ参り」が流行した。

神のおかげ、あたたかく迎えてくれる沿道(えんどう)の人たちのおかげでお参りを果たすことができたことなどから、「おかげ参り」ともいわれるようになった。

「ぬけ参り」とは、女の人や子どもが家長に無断で、伊勢参りにいくこと。


1705年4月から9月までの50日間で伊勢へ参った人の数は362万人(1日約7万2400人)

1830年3月20日から29日までの10日間で伊勢へ参った人の数は228万1000人(1日約22万8100人)

「おかげ参り」のフィナーレが幕末(ばくまつ)の「ええじゃないか」運動。

たくさんの参宮者のなかから、仲間を見失わないためにすげがさに出身地名を書いたり、自分たちの好きな絵をかいたのぼりを高々とあげたりして、それぞれのパフォーマンスを楽しんでいた。

参宮かい道は、人でいっぱいにうまり、子供ははぐれないようになわをひき、それにつかまって、歩かせていた。

旅先では、お金がなくなったりしたら、家に手紙を送ってお金をとどけてもらったりした。
(今と同じようなやり方で昔もしていたなんて知りませんでした。)

神宮参拝の他に名所めぐり、かい道芸、おみやげなども旅の楽しみでもあった

伊勢へまいるのに1日歩いたきょりは、女の人は8里・約32q。男の人は10里・約40q歩いた。


(感想)ぬけ参りなどをしてまで行こうとする江戸時代の人たちの思いはすごいなあと思いました。
 江戸時代に1日何十万人もの人が伊勢参りに行ったなんておどろきました。
女の人でも一日に32qも歩くなんてすごいきょりだししんどかっただろうなーと思いました。

伊勢神宮


伊勢神宮は「お伊勢さん」「大神宮さん」としたしみをこめて呼ばれている。

伊勢神宮には、内宮(ないぐう)と、外宮(げぐう)がある。

内宮

内宮は、皇大神宮(こうたいじんぐう)ともよばれている。


外宮

外宮は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)ともよばれている。

(感想)伊勢神宮は日本の神社の中心的な存在だそうで、今でも多くの人がお参りに行ったり、近くの観光地とあわせて訪れる人が多いところです。昔は今のように、遊ぶところが少なかったので伊勢参りに多くの人がいったんだと思いました。

わたしも、一度伊勢神宮に、行って見たいと思いました。